だいたい毎日はったつしょうがい

発達障害がヤベー事になってるホモ・サピエンスが、どうにかニンゲンに近付くため訓練している様子を観察できるブログです。

ダイジェスト版すずき発達診断

唐突に自分語りがしたくなったので書いていきます。でも面倒だし同じこと何回も書いてるなコイツ…みたいになるのもイヤイヤなのでダイジェストっぽくします。なっているかは知りません

 

 

はいではいくよ!

私は発達障害の診断が二回降りています。正式に言うと、「一回目の診断が杜撰すぎるからもう一度診断したい」と医師から言われて全く同じ診断が降りたという感じです。

 

一回目の診断が降りた時、私は15歳の高校生でした。

 

精神科に行く、発達を疑うきっかけは高校教員に言われた「おまえアスぺなんじゃねぇの」です。

 

言われて数秒くらいで「あー確かにそうかもしれないわ」と自分でも思い、特に何のダメージも感情もなく家に帰って発達障害についてを検索し、ADHDの項目を見て(あ、これだわ)と一人で納得でした。

 

それで当時、偏差値41とかのチンパンジーウェイ高校に通っていてかつ、模試で県で下から3番を取るくらいに頭が悪く遊びとバイト以外やる事がなくて死ぬほど暇だった私は一人でサクッと精神科に行き「いやそう(発達)だけどウチじゃ無理」とだけ言われて帰ってきました。

感想としては「まあそんなもんかー」ってくらいでしたね。

 

あー私、発達障害なんですか?

 

という問いに、

 

じゃなかったらこんなに(問診表)丸つかないでしょ。そうだから。

 

と答えてくれたのは相当面白かったですし、早くいなくなんねえかなこういう医者〜〜とも思ったのを覚えています。

診察帰りは

 

発達障害じゃん私すごい発達障害!!アハハめっちゃ発達障害!!!

 

みたいな謎のテンションで、セブンイレブンでアイスを買って舐めながら帰宅をしました。夏だったのでね。

 

で、学校へ行った日に「先生〜私発達障害だったよ〜アスペルガーADHDだって」と報告したら硬直していて(は?自分で言ったんじゃん…)と思いました。

「…精神科言ったのか?」と聞かれたので「そうだよ」と答えると「そうか。」でおわって青ざめた顔をしていましたが私的には、まずい発言したんだって自分でわかってるんだ〜そっか〜となったくらいでした。

 

幸い友達は多かったので、診断後は自クラス他クラスに『発達障害だったよ!!!』と言いまくって、以前にも増してみんなにお世話をしてもらっていました。態度が変わったりとかはなかったですし、結構調べてリマインドくれたりしてくれててとても助かってました。

私は発達障害診断前から机の周りが異様に汚かったり教科書置くスペースないくらいにいらないものを出したりロッカーが閉まらなかったり体育館シューズを毎回人に借りるようなドブでしたが、周囲の子が「すずきは私らがやってやらないとダメだから」と一生懸命世話を焼いていてくれてなんとかなっていました

 

 

別に卒業までこれといって薬を飲む事もカウンセリングもせず、普通の人と同じように生活し、できなさそうなところや出来ていない部分を友達や先生に手伝ってもらう感じで、一時は留年ギリギリで親も呼ばれ謹慎まで食らうような問題児でしたがなんとか卒業する事ができました。

どうでもいい事を言うと、高2の早大付属の男の子と付き合っていたときに「あ、ブレザーなんだ。学ランじゃないんだね(要するにバカ高なんだね)」と言われて死ぬほど頭にきて、まあそれなりに頑張って模試の成績をいっぱいあげましたが普通にダレて単願で受けた早大に普通に落ちました。

 

大学受験に普通に失敗して、まあその後も特になにもする事なく20歳になり、大学行きたいなーとかまた思い始め、勉強する時に重箱の隅ばっかつついたり、脱線していらんことばっか調べたり時間管理・生活管理できなくて勉強以外廃人みたいになるのとか集中含め、諸々どうにかなんないかな〜と思ってまたサクッとメンタルクリニックへ行った私ですが、

 

 

weapon-suzuki.hatenablog.com

 

こういう事になって

 

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 こうなって

 

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 こういう事になって、また野放しの発達障害に戻った感じです。

 

受験はどうなってるかというとすこぶる順調ですがんばってます。ちょうがんばってる。ちょう。って感じです。

 

雑な感じで申し訳ないですがまあ許されたい。 

 

そいではあでゅ〜