だいたい毎日はったつしょうがい

発達障害がヤベー事になってるホモ・サピエンスが、どうにかニンゲンに近付くため訓練している様子を観察できるブログです。

発達だって普通になりたい(迫真) 1/2

今朝からお気持ちがジェットコースターのすずきです。

今日も大暴れでしたが皆さんはいかがお過ごしでしょうか。

 

今回はたまに思う"普通になりたい"ってヤツについてつらつらとやっていきたいと思います。(今回も私のお話なので、そこだけよろしゅう〜〜)

 

 

はい、では

普通になりたい、とはなんなのか。当然どうしたんだ??って思われる方もいるかと思いますが、

 

発達障害の私はよくいろんな人に「普通ではない」と言われます。し、自分でも思います。

色んな人が「普通」という言葉を使い、そうなると自動的に"普通じゃない人""普通の人"がいるということになりますからね。ウン。

して、普通じゃないとジャッジされた私はふとした地点や経験をしていく中で、「ウーンそうかあ…頑張ってるけど普通じゃないってやっぱ変なんだな。うう…普通になりたいな」と思う時が割とあるわけです。

《アッ!私の普通が既におかしいのでみんなの言う普通になれる訳がないのは承知だから叩かないで!痛い!石とか投げないで!》

 

 

では自分の中にある"普通になりたい"とはなんなのか。ちょっと割り出しておこうと思ってまず、私が普通ではないと言われる状況をいくつか出してみますね。

 

状況①

突然意味もなく動き出す

私的には意味がないわけではないのですが、周りから見たら変人ですね。

個人的に「思い出し笑い」に近いそれや、楽しくなってしまって全てを抑え切れないと発動してしまいます。3歳児が突然笑い出したり飛び出したり急停止するアレです。厳しさがありますねえ!ええ!

 

状況②

動き方がおかしい

普通の人はゆっくり動いたり、急にパワーのある動きをしないですよね。

ただ、私の場合はどうも「異常なまでに素早さに囚われている」節がありまして、動きのキレがおかしかったり、かと思えばモゾモゾしていたり不可解な無駄な動きをしている事が多いようです。意味もなくおかしな動きをしているということですね。

 

状況③

反応や着眼点のズレ・本能に従い過ぎ

人と話していて多発します。

例えば、「シーチキンって美味しいよね」と言われて、普通に「美味しいよね」って言えばいいのに「なんか猫缶に似てるよね、そういら猫缶って醤油かけて鰹節かけて食べると凄く美味しい」みたいな余計な反応を返してしまい、「いや待ってくれ」となります。しかもシーチキンと猫缶という全く別物を連結させているのに「だって見た目が似ている」と言い出す着眼点のズレがもう凄い。わかってる…!わかってるんだけれども…ッ!

そして、本能の1つで『手当たり次第目に入る文字を人の話を聞きながら読む』みたいな事をしがちで、目線が読んでる文字を追っていて、なのに話には参加しているという失礼な事をしがち。なんでそんな事してるの?と言われても、本能が…囁くの…としか言えないですね。最悪です。

 

Oh〜〜凄いゾ…

いやでも、こうやって書き出しても別に自己肯定感がどん底とかはなくて、普通に今の自分にイイね!を自分で押しまくっているのになんで普通を考えるのかなーと思ってよく考えたら、

 

 

普通になりたい理由①

普通じゃないって言われるのが嫌だから

いやおかしいのはわかっているんですけど言われ過ぎて、じゃあどうすればいいのしかない。自分で変ってわかってるのに変ですを連呼されると、じゃあ普通を教えてくれ!となるし、普通じゃないって言うだけじゃなくて改善案もだしてくれ!って思う。そもそも普通ってなんですか(大の字)

 

普通になりたい理由②

普通だったらもっとマシだった気がするから

全然普通でもマシな部類になれそうにないのに、無駄な幻想を抱きがち。普通になった所でスペックが死んでいるので大して変わらないのにね、思ってしまうんですよね。タラレバです。しかし捨て切れぬ…

 

ってところで普通になりたいな、普通だったらを考えるのかな〜〜と。

で、よくよく考えたらどうも"普通になりたい"よりは、

 

 

 世の中で求められることに対応できるかつ、多くの人と同じリアクションが取れて年齢相応の振る舞いが出来る。そして基本的生活習慣がしっかりしている人間になりてえ!

 

 

ということを夢見たりタラレバしているのか??と言うところに辿り着きました。

いやそれ普通だからっていうのはね、そうなんですけどね、私からしたら普通の人ってこれ以外にも沢山の機能(思い描いた将来像や自分ができない事をすんなりしている・マルチタスクができる・仕事をスマートにこなしているなどのプラスαの要素)が実装されててとても素敵なんです。素敵なんですよ(血眼)

そして、私という発達これらが生まれた時から備わっていないものが多い上に、あっても1つ1つがポンコツなのでどうしても、おかしい人・変人・宇宙人などという称号を手にしてしまう訳ですね。ナンテコッタイ!

 

 ただ、次のブログで詳しく書きますけれど、私だって「人様の迷惑にならないように・足を出来るだけ引っ張らないように・一緒にいて指を刺されないように」という努力はしているのです。

しかし、普通の人はそんな事を努力しなくとも普通にできているのです…凄いですね…

そしてこういうレベルで努力をしている時点で、残念ながら私は永遠に普通になれないし普通から結構遠いところにいて、劇的な改善は見込めないのだな。と自分では思っています。

 しかし、そこで"普通みたいに"を諦めると今の社会ではやっていくことがとても厳しいかな?と感じてもいるわけで、うまい落とし所を見つけるのにとても苦労しています。

 

しかしまあそんなん正直、気分次第です

 

ポジティブな時はそんな面倒なことは考えないですしパワーで押し退けていきますが、多少メンタルが緩くなってしまうと沼にハマりかけて「私はどう頑張ればよいのだ…」となります。自分でも普通じゃない所はわかっているので!嫌気が!嫌気がねぇ!さしてくるんですよォ!

 

 

そこで!諦めんなよ!気合い!

 

 って言う人もいますけれど、 海馬が引き起こす発達障害って言われているように、海馬の発達の遅れが発達障害を引き起こしているのが高頻度で認められているわけですので、 ポンコツな脳みそで普通になろうとしても、ポンコツな普通になるだけで「おかしい」のは根本的になおらないんです。悲惨ですね( ◜◡◝ )

しかし、「なおらないので受け入れてください」だけでは、私も違うと思うので色々工夫をして自分のお気持ちと崩壊しそうな理性を保ちつつ"辛うじて日本語が通じるヤバめの人間"をやっていっているわけです。ハァ…

 

って事で、 次回は

 

「普通になりたい気持ちをどう昇華させるか」

 

を書きます。まとめて書きたかったけど字数が暴走してて止まらないのでここらで収集をですね…!

 

そいではあでゅ!