だいたい毎日はったつしょうがい

発達障害がヤベー事になってるホモ・サピエンスが、どうにかニンゲンに近付くため訓練している様子を観察できるブログです。

すずきと数的分野の学習障害と共感覚の話

学習障害かと思ったら、恐らく強い共感覚のせいで学習に支障をきたしているっぽかったって話とちゃんと教えてもらったら普通にわかったし、なんなら数学楽しくなってきたって話。

まあ別に珍しくもなんともないのだけれど、私には共感覚があったりします。 文字や数字に色や厚み、温度、湿度、味、匂い、触感、場合よって痛みとかそういうのメインです。どれがみんなに普通にあって、ないのかは分からないのですが、人から言われる「ことば」にフォントがあったりもします。

で、なんでそれが学習障害と関係するかって説明ですが、まず学習がやばくてすごいってこんな感じっていうのだけ、前提として書かせてくれ〜〜

私はずっと小さい頃から時間、日付の感覚がありませんでした。もっというと、単位とか数字とか、そういうものに関する概念が曖昧模☆糊という感じで、それ故に獲得する必要がそんなになかったのか知識や認識が乏しく、今日がいつかわからない。みたいなのが当たり前でした。 でも別段思い悩んだり、えらく困った記憶はないです。今日が何日かわからなくても、生きていけたので。暦がないとかそういう頃の人間の感覚のまま生きているといえばわかりますかね? そもさん、無いものを「あるらしい」で補完しても元々は無いものなので忘れるし、ないってそういうことです。

で、21歳になって恥ずかしい話、最近まで1万は0が4つとか、補助単位とかいうものを知らなかったです。 分数や、数え方と○番目という表現の違い、ccとmlの違いなんかもまったくわからなかったです。 前述した通り私にはそもそも数の概念がなく、それを浮遊したものとして捉えていたので、やっぱり時間の計算もできないんですよね。外が暗くなったら夜、明るければ昼、それで精一杯でした。本当は、明るさによって時間を覚えようとしたこともありましたが、なんだか夏至冬至があるのでそれはできなくて、今でも時間を見る習慣をつけるのは難しいです。

今カレンダーをみて予定を確認しても、予定は確認できても今日が「何曜日か」まで意識がいかないとかもザラ、何か予定があっても日付の感覚がないのでカレンダーをみても今日がわからずピンとこない日が多いです。

そんなんだから、20歳の時に学会で偶然話した慶應の精神科の先生にちょっと相談をしたら「いやそれ学習障害(LD)だから」と言われました。 自分以外にこんな基礎的な部分が不出来な人間を見たことがなかったし、数や時間の概念がないとか空間把握能力が欠如しているとかを伝えてもイマイチ理解してもらえなかったので、私はバカなんだなと思っていたけど、社会とか国語は逆にみんなより出来たので頭がめちゃくちゃに悪いとかではないらしいというのはわかっていたので、あー、なるほど。学習障害という言葉はかなりしっくりきました。

否定的な感情は一切なく、婚約者と会うまでずっと「発達障害の他に学習障害もあるみたい」と自分を説明していました。

でも、最近会ったばかりの婚約者はとても数字に強い人で、科学とか数学がよくできる人間らしく、私が学習障害であるというのを割と初期の頃から強く否定していました。彼曰く、私は学習障害ではないらしいんですよ。 でも、じゃあ社会とか国語は人より出来て、数の概念がないとか簡単な計算が出来ないとか、帯分数に出来ないとか、大きな数になるとダメ、みたいなのがあるのはなんなのか。他の人にはないじゃない。時間の感覚もないんだよ、じゃあこれはなんなの。どういう事なの。と納得はできていませんでした。

いやすっごい腑に落ちないもん

数学の偏差値でないって人間だぞ!!!!!!!出ても27とかなんですけど?????え???みたいな。

で、ある時に、補助単位について彼が手書きで白い紙に書いて詳しく教えてくれたのですが、そこで

「え、万とか億って補助単位であってなんか大きさではなかったのか!?!?!」「わかりやすいように0が3つずつで区切られている」

みたいなことを知って、他にも数の概念とか単位換算とか1世紀の感覚の掴み方なんかを私がわかるように丁寧に説明してくれて、すんなり理解できるようになりました。

ただ、それでも自分が学習障害ではないという事に納得できなかった私は

元々時間の感覚があるとか、数の感覚があるとか、1センチがどのくらいとか、日にちの感覚があるとか、そういうのがあるのは羨ましいなって思うよ。私にはないもん。

と思っていることを言いました。

で、それを言っていた時に、自分でも「なんで婚約者の説明はすんなり落とし込めて他のはダメなのか」をよくよく考えていたのですが、数字のフォントが私の共感覚とズレていると、私の共感覚に落とし込んでから計算という処理をしていることに気がつきました。絶対音感みたいに、基本的にすべてのものに共感覚があるように思います。私の感覚とずれた色や形だと、変換したり、あるいはそのまま認識してたりするわけですがとても負担だったりします。

あとは、私の脳の受け取りやすい形(?)規格(?)に変換したり形成してからでないと「なんで」が大きすぎたり「知りたいのそこじゃない/分からないのそこじゃない」って具合に解決しなかったりするみたいです。

婚約者は、私の思考のパターンみたいなものを理解するのがとてもうまいのでスッと入って来易いのと、文字に沢山の色をつけないで書いてくれるので共感覚の変換が少なくて済んでいるのと、わかる!!!!そっか!!!!」が強いのでかなり無視できているんだと思います。わかる!そうなんだ!の感覚はそのくらい強いです。

ここの段階で「学習障害(疑い)じゃなかったワ〜〜アハハ」って感じに変わりました。ごめんね婚約者。そしてありがとう。

未だにプリントとかPCの画面で算数の計算問題を見ると速度はガタ落ちになりますが、ずっと疑問で不安な上に納得がいかない説明が多かった

「足し算」「数数える順番」「0は存在するのか/その証明」「本当にこの世にあって使われる数式は崩れることがないのか」

に関して納得いく説明をもらって考え方と認識が自分で固定出来たので、ゆっくりなら解くことができるようになりました。

面積を求めたり、高校で一回も習わなかった微積もやってみようと思って一人で調べて解いてみたりしています。 別に必要に迫られてないのに好きでやってるの、高校とか泣きながら算数やってた小学生の頃の自分に見せたいなって思う。

そして私、結構数学が好きだなって (できるとは言ってない)

言ってないからね!!!!!

あでゅ

ダイジェスト版すずき発達診断

唐突に自分語りがしたくなったので書いていきます。でも面倒だし同じこと何回も書いてるなコイツ…みたいになるのもイヤイヤなのでダイジェストっぽくします。なっているかは知りません

 

 

はいではいくよ!

私は発達障害の診断が二回降りています。正式に言うと、「一回目の診断が杜撰すぎるからもう一度診断したい」と医師から言われて全く同じ診断が降りたという感じです。

 

一回目の診断が降りた時、私は15歳の高校生でした。

 

精神科に行く、発達を疑うきっかけは高校教員に言われた「おまえアスぺなんじゃねぇの」です。

 

言われて数秒くらいで「あー確かにそうかもしれないわ」と自分でも思い、特に何のダメージも感情もなく家に帰って発達障害についてを検索し、ADHDの項目を見て(あ、これだわ)と一人で納得でした。

 

それで当時、偏差値41とかのチンパンジーウェイ高校に通っていてかつ、模試で県で下から3番を取るくらいに頭が悪く遊びとバイト以外やる事がなくて死ぬほど暇だった私は一人でサクッと精神科に行き「いやそう(発達)だけどウチじゃ無理」とだけ言われて帰ってきました。

感想としては「まあそんなもんかー」ってくらいでしたね。

 

あー私、発達障害なんですか?

 

という問いに、

 

じゃなかったらこんなに(問診表)丸つかないでしょ。そうだから。

 

と答えてくれたのは相当面白かったですし、早くいなくなんねえかなこういう医者〜〜とも思ったのを覚えています。

診察帰りは

 

発達障害じゃん私すごい発達障害!!アハハめっちゃ発達障害!!!

 

みたいな謎のテンションで、セブンイレブンでアイスを買って舐めながら帰宅をしました。夏だったのでね。

 

で、学校へ行った日に「先生〜私発達障害だったよ〜アスペルガーADHDだって」と報告したら硬直していて(は?自分で言ったんじゃん…)と思いました。

「…精神科言ったのか?」と聞かれたので「そうだよ」と答えると「そうか。」でおわって青ざめた顔をしていましたが私的には、まずい発言したんだって自分でわかってるんだ〜そっか〜となったくらいでした。

 

幸い友達は多かったので、診断後は自クラス他クラスに『発達障害だったよ!!!』と言いまくって、以前にも増してみんなにお世話をしてもらっていました。態度が変わったりとかはなかったですし、結構調べてリマインドくれたりしてくれててとても助かってました。

私は発達障害診断前から机の周りが異様に汚かったり教科書置くスペースないくらいにいらないものを出したりロッカーが閉まらなかったり体育館シューズを毎回人に借りるようなドブでしたが、周囲の子が「すずきは私らがやってやらないとダメだから」と一生懸命世話を焼いていてくれてなんとかなっていました

 

 

別に卒業までこれといって薬を飲む事もカウンセリングもせず、普通の人と同じように生活し、できなさそうなところや出来ていない部分を友達や先生に手伝ってもらう感じで、一時は留年ギリギリで親も呼ばれ謹慎まで食らうような問題児でしたがなんとか卒業する事ができました。

どうでもいい事を言うと、高2の早大付属の男の子と付き合っていたときに「あ、ブレザーなんだ。学ランじゃないんだね(要するにバカ高なんだね)」と言われて死ぬほど頭にきて、まあそれなりに頑張って模試の成績をいっぱいあげましたが普通にダレて単願で受けた早大に普通に落ちました。

 

大学受験に普通に失敗して、まあその後も特になにもする事なく20歳になり、大学行きたいなーとかまた思い始め、勉強する時に重箱の隅ばっかつついたり、脱線していらんことばっか調べたり時間管理・生活管理できなくて勉強以外廃人みたいになるのとか集中含め、諸々どうにかなんないかな〜と思ってまたサクッとメンタルクリニックへ行った私ですが、

 

 

weapon-suzuki.hatenablog.com

 

こういう事になって

 

weapon-suzuki.hatenablog.com

 こうなって

 

weapon-suzuki.hatenablog.com

 こういう事になって、また野放しの発達障害に戻った感じです。

 

受験はどうなってるかというとすこぶる順調ですがんばってます。ちょうがんばってる。ちょう。って感じです。

 

雑な感じで申し訳ないですがまあ許されたい。 

 

そいではあでゅ〜

 

アルバイトとか、そういうの。

おはようございます。すずきだよ。

いつかの私が人に宛てて書いた文章ですね、懐かしいからそのまま載せます。

そい。


昨日ぶり2回目を投稿します、あの月5回バックレ女です。 バックレモーメントに対してお叱りの言葉が出て来ていて、概ねバックレるという辞め方がアレなので「まあわかるわあ」という感じなのですが、ちょっとだけ物申させてほしいと思いお題箱を再びお借りします。お前の所でやれや…と思うかもしれませんが、私には発言力や発信力が皆無ですので何卒…という感じです。

ではいきますね。 まず、バックレは良くないです。大前提として、バックレという辞め方は褒められるものでも自慢できるものでもなく、迷惑がかかり普通に信用を失うやり方です。 最も避けるべき辞め方であり、自分の首を絞める行為です。これだけはまずはっきりさせておきますね。

じゃあなんで、-----さんのモーメントにあれだけポジティブなリアクションがあったかというと、恐らく「ああ、そのくらいしちゃっても大丈夫なんだ!」というある種の基準になっているからではないでしょうか?

様々な理由で辞めたくてもなかなか踏み切れない人はいるわけで、「辞めさせてください」と言ったばっかりに辛い目に遭った人もいるはずですし、申し訳ないとか言い難いとかで切り出せない人もいるわけです。 ただ、続けつつも「辞めたい」と思は思っていて、ズルズルと来てしまっている。 辞めてどうしよう。なんか言われるかな。他のキャストにどんなしわ寄せがくるんだろう…、悩みは尽きないと思います。

答えとしては「辞めたもん勝ち」の一点です。 色々脅されたり、居ないと困るんだよね…というバイトさんの優しさに漬け込む輩もいるようですが、切り捨てましょう。 悪いですが、バイトに何期待してるの?以外に言うことがないです。時給900円程度が取れる責任とはなんでしょうか?居ないと困るって、900円が1人でも辞めたら大変という経営のスタンスが狂ってると思いません? アルバイトはもっとシビアに、ドライになるべきです。「辞めたいと思ったので辞めます」というのはきちんとした理由ですし、アルバイトは辞めるものという認識ができてない経営者や社員は正直どうかと思います。 代替が効き、900円ちょっとで人手が足りない時に仕事をサポートしてくれる人、くらいがバイトの役割です。

からしんどい・辞めたい・もう続けられない・というバイト先に関しては容赦なく辞めさせてくださいと言いましょう。最低のことを言ってしまうと、別に私のようにバックレにバックレても訴えられたりはしないです。だからそんなにアルバイトに責任を感じないでください。 ただ「辞めたいです」とだけは言いましょうね。それでも辞めさせてくれないなら逃げるのもアリですね、この場合はバックレとは言わないです。

そしてまず、バックレ以外でバイトが辞める事でゴネる程責任が発生するならそれなりの賃金を支払うとか待遇をどうにかするべきですよね。また、バイトに向かってプロ意識とかいう人もいますが、「笑わせんなアルバイトにプロ意識なんかあるかよ」って感じです。

【お客様や相手に不愉快な思いをさせない程度の愛想で与えられた仕事をこなし、奉仕はしない】

というのがベストなスタイルだと思います。 気を利かせるというのは何故か世間ではめちゃめちゃいい事!みたいになってますが、バイトの場合でそれをやると、後から来た人もやらされる羽目になり、やらないだけで「気が利かないのね」とか言われます。客も客で「サービスがなってない」とか言いますが、どちらも

『うるせえな、金出してくれたらやってやるよ』

の一点です。要らない気はまわさず、疲れない程度に省エネでアルバイトして行きましょう。 あと、辞められるかどうかは自分に「判断力」「決断力」があるかないかでもありますからね。ヤバいバイト先を「辞めるという判断・決断が出来た」というのは誇っていい事です。

最後に。 バックレは出来るだけ回避、最後の手段です。 自分を一番に考えて、無理せず労働しましょう

失礼いたしました

料理ができない

はいすずきだよ!もうみんな知ってると思うけど、私は死ぬほど料理ができないです。

 

もう恥ずかしいけどちゃんと纏めて自分で後でしくじった時に反省できるようにブログにしたよ!!!!

 

すずき、正確にいうと

 

①分量がわからない為、量がおかしくなる

②分数や小数で調味料の量を書かれると死ぬ

 

の2点が問題すぎて料理ができないです。

 

 

1.  ①分量がわからない為、量がおかしくなる

これからいきますね、そもそも2人前とか1人前の感覚が全くないので、よくわからな

いまま作り始めて、気がついたら10人前とか5人前とかになっていて呆然とする……みたいなのが頻繁に起こるし、多分それは空間把握能力の問題なんですよね。だって、ボウルとか鍋がデカくなればなるほどそれに合わせて量も増えていくのでそういうことだと思います。『このくらいの分量だから○人前』が、ない。

ちなみにいつも食べてるご飯の量とか、平均して大人がどのくらい食べるみたいなのも全くよくわかっていなくて、そういうところの目安がない故の失敗なんかもしています(教えてもらったけど上手く掴めてない)

プラス最悪なことにグラム数や本数から具体的な最終量か想像できないので想像量を超えたものが鍋の中に誕生し、火が通らなくて死ぬ・味付けの調味料の分量までバグって終了です。

 

 

2.  ②分数や小数で調味料の量を書かれると死ぬ

まあもう普通にわからない。

私は数的分野の学習障害があるので「0.5」「1/2」「人参1本 」と言われても全くわからないんですよね。

0.5って何を1とみなしているのかがわからないし、デジタル測りがないと死ぬしデジタル測りを使っても測定の仕方がわからなくなって死ぬ時もあります。

1/2と言われても、分母とか分子とかがよくわかっていないので「1と1の半分入れればいい」のか「1の半分を入れればいいのか」でわからなくなって死にますし、1と1/2とか書かれた暁には発狂して料理が終わります。

人参1本と書かれても「いやグラムで書いてくれ」って思うんですけど、「いやそんな所で精密さ求めてないから」と言われて、レシピ作成した人が想像する大きさの人参わかるってすごいなって思いながら毎回「平均的な人参」を求めて戦っています。

 

 まあこんな感じです。

ぶっちゃけると、幸い私は食材の選定スキルや味付けスキルは死んでいないのでこの2点を克服できたらなんとかなりそうな気がしますが、まあ『根本として欠陥している能力』なので、改善に期待はしていません。

ただ、フォロワーさんから1/2計量スプーンというものの存在を教えてもらったので買って頑張ってみるとします。

 

毎日ごはん作って失敗したらブログにまとめるので、死ななさそうな料理からまずスタートしたいですね。がんばれすずき

 

 

あでゅ!

 

 

発達障害が受け入れられるには

おはようございます!すずきだよ!

今日は私が前々から言っている「発達が受け入れられるには」って事について書いていきます!

このスクショがとりあえず言いたいことの全てで、私の過去のツイートです。

補足は1番下につけておきますね

今回はもう文にするのが面倒でとっ散らかりにも程があるけど許してくれ…止まるんじゃねぇぞ

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《補足》

発達障害が受け入れられるには、から話が大きくなって社会にまで飛んでしまったけれど、その2つは、というか会社は社会の中に内在し、大きくいうと社会を形成するものなので切り離しが出来ないので言及している内容や箇所が行ったり来たりして申し訳ないけれど、どちらに関しても書いていきますね。

 

はい。

 

 

 もちろんこれを見て、「今」支援を必要としている人・現在の発達1人単位で置かれている状況なんかを考えると、とてもこれが一番いいとは言えないと思います。

ただ、何かを変えるには根本からやるのがベストであることは間違い無くて、勿論すごく時間はかかるし移行期や実現するまでにきっと何人もの「定型」や「発達」が最後の恩恵を受けられずに辛い思いだけをするという事もあるだろうし、犠牲と呼ばれるものの上にしか成し得ない事なんだろうと思うと、私はまた考え込んでしまう。

何かをゼロベースで創り上げるなら絶対に避けられないことで、それは正論だけれども「じゃあ弱い人は切り捨てられてください」がいいわけでも無く、全ての人の今を救うことは物理的に不可能で、更には

 

『今を救いつつ将来を構築し直すのは極めて難しいこと』

 

だから余計にどうなのかなと。

そもそも、声をいくらあげても社会が変わるのには10年単位からの時間を要することが多いわけで、発達だっていろんな発達がいて、医師だって把握出来てない場合もあるわけで。

私としては

 

発達障害が生きやすい社会』

                       ‖

『何もない人も生きやすい社会』

 

であると思っているし、発達障害の配慮はもちろん現時点では必要だけれど別にそれは個人差はあるにしろ「特別」が死ぬほど多いものでは無いと思っているから、理解をする際には真剣に取り組む必要があるけれど、その後は過剰に「発達」として要らない方向で特別扱う必要はないと思うんですよね。

 なんて言えばいいかわからないけれど、Twitterとかを見ている限りだと、

 

なんか毎日失敗とか多いけどいっぱい頑張ってるよ、それでもやらかしてしまうので辛いな。

もっと普通だったらよかったのに。

 

みたいなのが多くて、私はそれを見てとても悲しくなるし、本来発達が求めているのは

 

ある程度の失敗を笑って許される事

 

なのではないかなあと思うし、その為に「するべき事」って絶対特別じゃないよねって思うわけです。

発達障害が失敗することは定型も失敗するであろう事だし、「間違い」や「失敗」が起こりにくくするのは本来とても正しいことで、間違えるから・失敗するから「厄介」と排除するのは、定型にとっても危険な行為ではないのかなと思うわけです。

 まあもう面倒だから理想を言ってしまうなら

 

定型も失敗するし発達も失敗するし人間みんな失敗するからそれを一々怒るのは疲れちゃうし、まあ多少思うところはあるだろうけれどそれでも仲良くやってきたいよね。で、出来る人ができる部分で出来る能力を発揮して、まあなんとなくそれでご飯とか食べちゃったり生活できちゃったりして、まあ割と幸せかな

 

って多くの人が思えることなんですけど、それは私の理想でしかないしもうよくわからなくなってきたし、それでも私はやっぱり「定型」とか「発達」とかを主語にして生きやすく!みたいなのが不毛すぎて早くなくなって欲しいから、その為に1ミリでも頑張れたらいいなって思うし、

 

これってそんなに難しいことかよ!!!

 

 

って大の字になってしまうし、よくまとめられないのでこの辺にして終わります。

 

 

あでゅ

発達だけど普通になりたい(迫真) 2/2

みなさま御機嫌よう、昨日よりはお気持ちが穏やかなすずきです。 

 

では早速、「どう普通になりたい気持ちを昇華させるか」

についてパキパキやって行きたいと思います。

  

 

 

まあ前の記事でも書きました通り非常にメンタルに左右される部分かつ、普通になろうとしても物理的に一定以上はシンカしない訳ですから結構難しいところですが、

 

 

①メンタル面での昇華

私の変なところを面白くて好きだといってくれる人に「どうしよう。普通になりたくなっちゃった…」と相談する事です。だいたい「え、何?たぶん無理だけど」と返答が返って来るものの、適当に話を聞いてくれるので10分くらいで謎の力が湧いてきて直ります。即効性があり、応急処置として最適です。

 

 

②長期的な技術面での昇華

普通であろうとしすぎないことと"一般常識"に従うことで「擬態」を せず自分を残して、他人から見ておかしくなり過ぎない。に到達できてある程度普通に近づくので薄まるかなあと。

で、こちら個人的にちょっと言いたいナ、って部分があるので書き殴っておきますね

 

 

まず発達障害、社会でやっていくために定型(発達障害がない人)に「擬態」すると言うテクニックを使う人が多い様に思うのですが、これ関して正直私は微妙に思っています。(もちろん全部を否定しているわけではないです)

ただ、「私にとっての普通」を殺してまで溶け込む必要があるのかが疑問なんです。もちろん普通の人と様々なシーンで共存する為に「特性を調整する」のは必要だと思います。ただ、発達の私の普通と、普通の人の普通は違うんです。どちらかが間違えているわけでもどちらかがダメなわけでもなく、基本的に"欠陥の有無による認識や程度の違い"に過ぎないと思っているので、「全てを合わせる必要も、擬態をする必要もない」というが本来の一番あるべき姿なのかなあと私は思うのです。(だから違和感感じるのかなーと)

 

この世は普通の人だけで構成されていないわけでして、もちろん多くの人に合わせること・ずれていないことが求められる事が多いのはわかります。なんとなく「普通じゃない」と言われる事を避けたくて擬態をするのも分かるのですが、結果「擬態をしている自分」と「本来の勢いのある変人な自分」の乖離が酷くなると精神的に厳しくなるのは自分なのではないかなあとも思うわけです。

上手くできる人はいいのですが、不器用かつ自己肯定感が高い私は、発達で変な自分も割と好きなので押さえ込んでまで普通になりたくない〜〜嫌だもん〜〜となります。しかも擬態をした瞬間に、擬態に全力を注ぐので他が疎かになってしまい単純に「取り繕ってるだけ」になるんです。定型から見たら明らかに普通じゃないのに必死に普通になろうとしてる感がすごい…としかならない奴ですね。

 

 

 

じゃあ「擬態まではしたくないけれど普通になるにはどうしたら…」となります。

 そこで冒頭の「普通」を、「一般常識」で代用する、という発想にいたるわけです。

 

 

 "変だけれど常識はあるよね"で妥協しようってワケですね。

 

 

一般常識を獲得し、社会性を求められる現場ではそれに従って自分を出しつつ「常識的にはこうですよね?」と自ら繰り出す事で相手の変人センサーの反応を薄めることができますし、常識的な振る舞いをしている限りは無駄に突っ込まれることもないですし、話しているうちに「思ったよりも普通だった」みたいなのも引き出せたりします。私は、ですが。

 

 

いやその常識がわからん。って人は、手紙を書くのがいいと思います。メールではなく手紙です。そして手紙の書き方の本を買うのです。あそこには発達が苦手とする「お気持ち」の多くが記されているからです。(どうしてそう書くか、みたいな理由がちゃんと載ってるのを選んでくださいね)

あとは、常識の文字が入ってる本を図書館で探してきて自分になさそうなものをピックアップして獲得するのがよいかと思います。

あとはベターですが、入社一年目の教科書〜〜みたいなタイトルの奴とかも発達の教科書に最適かなあと思いますが(あくまでも私の感想ですが)

 

 

ちなみに私は社会人をやった事もなくバイトと学校の中くらいしか社会を知らないのですが、「ある程度の常識あるならまあいいよ」って許されることが多くて、普段は普通じゃないよ〜〜ってからかう人でも真面目に話すと「すずきは普通じゃないけど変すぎるわけでもないよね。」って言ってくれたりします。お世辞でも嬉しいし、ピョンピョンしたくなりますね。

 

 

もちろんここに行き着くまでに沢山失敗して、いろんな人に迷惑をかけてきたわけで何も楽ではなかったけれど、私は社会との関わりや人との関わりを捨てられないし捨てたくないとも思うので『常識を伴う大型の発達台風』としてこれからも無理しないでやっていきたいと思います。どう頑張っても生まれた時から物理的に普通じゃないので普通にはなれないし、落ち込むとすぐ普通じゃない所に目が行きがちですが、常識パワーをある程度手に入れたら変でも多少は許されるし、普通になりたい気持ちもまあまあ抑えられてきてはいるので、落とし所としてはたあ、こんな所かなあと。

 

 

《まとめ》

で、も、ぶっちゃけるとメンタル的なのと技術的な側面の2つの方向からアプローチする事でお気持ちの昇華テクを身につけましたが、それでもウゥン違う…となる時はあります。ただ、まあ変でもいっかなあ本来なので、普通になりたいと思った時はむしろ何らかのダメージを負ったんだな…と考える様にもして、そちらの原因の追求をする時もあります。そこらへんは臨機応変に行きますですね〜〜。ただ、いつもの普通になりたい!を昇華させるだけなら本当にこの2つの組み合わせが私にとってはとても有効でしたよ、って感じです。

 

 

まあそんなこんなで、よくわからないですが毎日楽しくやっていっています。実は今体調が悪すぎて頭の悪さにも拍車がかかっていまして、もはや何をいっているのかわからねえ!って感じですが、なんとなく伝わったらよし。

 

普通でも普通じゃなくてもよくわかんなくてもご飯が美味しくて空が青くて何となく楽しい!みたいなのを大事にね、していきましょう!

 

 

そいでは!あでゅ!

 

私のヤバいADHD部分についての説明


私の代名詞でもある障害のADHD(注意欠陥多動性障害)の一部分について、初めて見る人にもわかりやすく"ヤバさ"が伝わるように書いていこうかナ〜〜と。

ちなみに『私のADHD』についての記述なので他の皆さんもそうであるかはわからないので、お間違えないようによろしくお願いしますね。

 

 


さて、それでは元気よくいきましょう


すずき、とんでもなく焦りがすごい


皆さんもあせることってありますよね。
「どうしよう!」「ヤバイ」
みたいなのは誰もが抱くものですし、特別なことでないです。しかし、私は「どうしよう」となった時に

       

        『どうしようしか考えられない

 

という状態に陥ります。とりあえず訓練をした結果、頑張って体を動かして対処を試みることは出来ます。しかしとんでもなく焦っているので、目は凄く泳ぐし膝は笑ってるし冷や汗は4ガロンくらい出ているし、

     

       どうしようどうしようどうしようどう

 

しかないのです。お腹もメチャクチャ痛くなって、思考の幅も狭まるのでTHE無能という感じになります。本当に使えない。そして周りが「いやアレはヤバイ」と口を揃えて心配するレベルで動きが鈍くなり、本人が落ち着くまでは周りがいくら声をかけても全く届きません。全くです。本人が自分で「ヤバくない」とジャッジするまで延々とその状態が続きます。
しかし、挙動に不審な点は見られるとはいえ20年もADHDをやってきて、何とかしないと怒られる!と頑張りに頑張った結果、《人並みに振る舞う》という事を習得しました。ごめんなさいと謝って、失敗のフォローをして、リカバリを図る。みたいなやつですね、

しかし

焦っている事には変わりなく、そんな付け焼き刃の『普通の人間のフリ』というのは無理があるのと、諸刃の剣なのです。
なぜかと言うと、

 

・何度も失敗をしないとそれは身に付かないし、何度失敗しても身に付かないことが多い

振る舞いは普通の人に擬態できるので脳内のヤバさがわかってもらえず、崩壊して誰の手もつけられなくなるし、自分が辛くなって終了

 

みたいなことが起きるのです。皆さんも
「大丈夫です!出来ます!」って無理した経験、ありますよね。まさにアレです。
いやどうやっても無理でしょ、って話なんですけどね〜〜。ウゥンつらい…

落ち着いている時と、ヤバくなった時のギャップが恐ろしいのが私です。ぱっと見は普通の人間なんですよ。ただ、作動させてみて「なんだ〜〜普通じゃ〜〜ん」と多少の無理をさせた瞬間に、凄い勢いで煙が出てぶっ壊れたヤバげなオモチャみたいな動きをして奇声を発しながら自己崩壊するんですよ。とてもヤバくないですか?
私に「アスペ/多動に見えない」「ヤバそうに見えない」と言う人は死ぬほどいますが、野放しにさせて4時間くらい遊ぶと、皆さん口を揃えて「ああ…発達障害…」って言いますからね。そういうことです。

もちろんヤバイだけではなくて、余裕を与えてもらえればキチンとお仕事をする事が出来ます。発達障害であるけれど「ア!忙しくなるぞ!」と思ったら多少の迎撃姿勢は取ることが出来て、少しなら対処も出来るんですよ。
ただ、他の人よりもキャパが少ないので、迎撃姿勢からの臨界までがとても早くて、皆さんがその被害を受けるのです。私が使い物にならなくなったら今まで私を雇用してた人たちはどうしていたかと言うと

 

・洗い場に引っ込めて1つの事をさせておく
・その場から引き剥がして別の急がない作業をさせる

・落ち着いたら連れ戻す

 

みたいな感じでした。

優しい雇用主が多かったのと皆さん大変優秀でしたので、私の分も頑張ってやってくれてましたし、私は私でヤバイのをちょっとでも鎮める為に1つの作業に没頭していたりしました。


お前!超迷惑かよ!


と読んでて思った人もいると思いますし、読んだ人の9割がそう思うはずなのですが、


ウワーン!!私も!!!無能なのヤダ!!!迷惑かけてるの知ってる!!ヤバイってわかってる!!自分ドブ!!


って思います。わかってんなら何で出来ないの??と思うかもしれませんが、土下座しながら言わせていただきますと、「脳味噌(指令を出す部分)がアレなので自分ではどうにもならない」といったところです。
コンピュータに例えるとわかりやすいですかね?
ウイルスに侵されたコンピュータはまともに動いてくれますか?
クソッタレ!ファッキン動かねぇ!ブルーの画面がでて使用者は頭を抱えます。正にこれなのです。
誤作動とキャパが極小かつ、"ヤバい焦りウイルス"に侵食されやすいドブなパソコン=私です。
更に最悪なのは、私は無能ではありますがホモ・サピエンスである以上「感情」というものがありまして、「どうしよう」と思っている時は漏れなく

 

「ヤバイ迷惑をかけているごめんなさいどうしようなんかしなくちゃ申し訳ない!!やばい!何をしたらいいんだ!待ってくれ!ピャーーーーッ!!!」

 

ともなっていて、落ち着いたら落ち着いたで物凄い勢いで罪悪感と無能感が襲ってきて、最悪な感じになります。もっと最悪なのは私と一緒に働いている人なのですが!!!!私も!!同じくらい!!申し訳ないと!!思っているんです!!!すまん!!!


こんな人と一緒に働きたくねえ…って言うのは誠にその通りでございまして、大人しくしててくれって言われた事も何回もあるし、何で出来ないの!?と幼少期から色んな人に言われてきましたが、残念ながら脳味噌がアレなのでほぼ改善はされません。
努力しても「努力をする」という部分に集中がフォーカスされて、キャパが圧迫され余計に無能になります。残念極まりなく、本当にやべえしかないですね。
しかし私もバイトをしないとご飯が食べられなくて死んでしまいますので、大変すまねえと思いつつも日々アルバイトをしているわけです。しかし、私も「配慮をしてくれ」ばかりでは理解してもらえないと言うことは重々承知なので、


・一番やってはいけない失敗を教えてもらう
(これさえやらなければ御の字だし、1つなら辛うじて覚えていて気をつけられる)

・全て聞いたら大丈夫と言う人を決める
(多くの人に聞くとやり方が人によって違うので混乱する上に、緊急時に誰にヘルプしたらいいのかわからなくて死ぬため)

・クレームTOP5までを聞く
(余裕があるときは覚えているようにする。これに気を配る事で最低限は無能にならなくて済む)

・挙動がおかしい時は肩を叩いてもらう
(お前ヤ・バ・イ・で・す・よ・のサイン)

・臨界突破した時の対処を決めておく

(洗い場に押し込んでこれ以上物理的にやらかさない様にする/落ち着くまで一人でなにか1つの事をさせてクールダウンさせるのが狙い)

 

と言う事を責任者とチーフの人に話したり決めておく事にしています。
あとは、逐一ヤバそうな事を見つけたら「こういう失敗しそう」みたいなのも伝えるようにしています。
そうすると、比較的大惨事になりにくいんです。
普通の人isすごい。

そして、逆に私が得意な事も伝えるようにしています。「配慮してくれ」だけは絶対に違うと思うし、ここなら頑張れるよ。というのはしっかりやるべきだと私は思っているし、なるべくお荷物にはなりたくないので〜〜。


こんな感じですかね?普段からソワソワしていたり、何やら挙動が不審な私ですが、

 

『今日もいっぱい焦っていて実にすずきさんぽいですね〜〜いいですね〜〜』

 

と言ってくれる人がいたりするお陰で毎日を生き延びていますね。私の扱いはメチャクチャ難しいと思いますが、

私のヤバさは私が一番知っているし、私を扱う人は私のヤバさについて知っていないといけないし、私が伝えないと私を使う人が困る

というのもよく知っているので、私は私が「発達障害」である事を言い散らかしています。
(勿論言いにくいという人はいますし、カミングアウト?を強要するのはどうかと思うので、あくまでも私は、ですよ〜忘れないでくれよな〜色んな人がいるからな)


とにかくここまで読んでくれた方には、私が如何にヤバイかがよ〜〜く伝わったと思います。
ちなみにこれは氷山の一角で、そのほかにも色々とヤバめな所が多いですが、一番被害が大きい所はここなので伝えられて良かったです〜〜


これを見て「エッもっと詳しく知りてえ!」みたいな人がいたら、ウェルカムなのでどうぞお気軽に質問くださいな。


元気に毎日ご飯食べてたくさん動いていてすごい!!!多動!!!!!!注意欠陥!!!!!衝動!!!!って感じでがんばって生きていますので、塩とか投げないでくださいね!!!!痛いからな!!

そして、「アスペ」とか「発達障害」という名前を気軽に使ってるお前〜〜!!
「それで悩んでいる人がいる」という事を忘れるなよ。

ちょっと変なやつをイジったり馬鹿にしたりする時の便利なワードじゃないからな

 

 

 

ということでなんかすごい長くなっちゃったし、いっぱい書いて指が凄いのでこの辺で〜〜!!ンフフ〜〜!

 

そいでは、あでゅ!