だいたい毎日はったつしょうがい

発達障害がヤベー事になってるホモ・サピエンスが、どうにかニンゲンに近付くため訓練している様子を観察できるブログです。

すずきと数的分野の学習障害と共感覚の話

学習障害かと思ったら、恐らく強い共感覚のせいで学習に支障をきたしているっぽかったって話とちゃんと教えてもらったら普通にわかったし、なんなら数学楽しくなってきたって話。

まあ別に珍しくもなんともないのだけれど、私には共感覚があったりします。 文字や数字に色や厚み、温度、湿度、味、匂い、触感、場合よって痛みとかそういうのメインです。どれがみんなに普通にあって、ないのかは分からないのですが、人から言われる「ことば」にフォントがあったりもします。

で、なんでそれが学習障害と関係するかって説明ですが、まず学習がやばくてすごいってこんな感じっていうのだけ、前提として書かせてくれ〜〜

私はずっと小さい頃から時間、日付の感覚がありませんでした。もっというと、単位とか数字とか、そういうものに関する概念が曖昧模☆糊という感じで、それ故に獲得する必要がそんなになかったのか知識や認識が乏しく、今日がいつかわからない。みたいなのが当たり前でした。 でも別段思い悩んだり、えらく困った記憶はないです。今日が何日かわからなくても、生きていけたので。暦がないとかそういう頃の人間の感覚のまま生きているといえばわかりますかね? そもさん、無いものを「あるらしい」で補完しても元々は無いものなので忘れるし、ないってそういうことです。

で、21歳になって恥ずかしい話、最近まで1万は0が4つとか、補助単位とかいうものを知らなかったです。 分数や、数え方と○番目という表現の違い、ccとmlの違いなんかもまったくわからなかったです。 前述した通り私にはそもそも数の概念がなく、それを浮遊したものとして捉えていたので、やっぱり時間の計算もできないんですよね。外が暗くなったら夜、明るければ昼、それで精一杯でした。本当は、明るさによって時間を覚えようとしたこともありましたが、なんだか夏至冬至があるのでそれはできなくて、今でも時間を見る習慣をつけるのは難しいです。

今カレンダーをみて予定を確認しても、予定は確認できても今日が「何曜日か」まで意識がいかないとかもザラ、何か予定があっても日付の感覚がないのでカレンダーをみても今日がわからずピンとこない日が多いです。

そんなんだから、20歳の時に学会で偶然話した慶應の精神科の先生にちょっと相談をしたら「いやそれ学習障害(LD)だから」と言われました。 自分以外にこんな基礎的な部分が不出来な人間を見たことがなかったし、数や時間の概念がないとか空間把握能力が欠如しているとかを伝えてもイマイチ理解してもらえなかったので、私はバカなんだなと思っていたけど、社会とか国語は逆にみんなより出来たので頭がめちゃくちゃに悪いとかではないらしいというのはわかっていたので、あー、なるほど。学習障害という言葉はかなりしっくりきました。

否定的な感情は一切なく、婚約者と会うまでずっと「発達障害の他に学習障害もあるみたい」と自分を説明していました。

でも、最近会ったばかりの婚約者はとても数字に強い人で、科学とか数学がよくできる人間らしく、私が学習障害であるというのを割と初期の頃から強く否定していました。彼曰く、私は学習障害ではないらしいんですよ。 でも、じゃあ社会とか国語は人より出来て、数の概念がないとか簡単な計算が出来ないとか、帯分数に出来ないとか、大きな数になるとダメ、みたいなのがあるのはなんなのか。他の人にはないじゃない。時間の感覚もないんだよ、じゃあこれはなんなの。どういう事なの。と納得はできていませんでした。

いやすっごい腑に落ちないもん

数学の偏差値でないって人間だぞ!!!!!!!出ても27とかなんですけど?????え???みたいな。

で、ある時に、補助単位について彼が手書きで白い紙に書いて詳しく教えてくれたのですが、そこで

「え、万とか億って補助単位であってなんか大きさではなかったのか!?!?!」「わかりやすいように0が3つずつで区切られている」

みたいなことを知って、他にも数の概念とか単位換算とか1世紀の感覚の掴み方なんかを私がわかるように丁寧に説明してくれて、すんなり理解できるようになりました。

ただ、それでも自分が学習障害ではないという事に納得できなかった私は

元々時間の感覚があるとか、数の感覚があるとか、1センチがどのくらいとか、日にちの感覚があるとか、そういうのがあるのは羨ましいなって思うよ。私にはないもん。

と思っていることを言いました。

で、それを言っていた時に、自分でも「なんで婚約者の説明はすんなり落とし込めて他のはダメなのか」をよくよく考えていたのですが、数字のフォントが私の共感覚とズレていると、私の共感覚に落とし込んでから計算という処理をしていることに気がつきました。絶対音感みたいに、基本的にすべてのものに共感覚があるように思います。私の感覚とずれた色や形だと、変換したり、あるいはそのまま認識してたりするわけですがとても負担だったりします。

あとは、私の脳の受け取りやすい形(?)規格(?)に変換したり形成してからでないと「なんで」が大きすぎたり「知りたいのそこじゃない/分からないのそこじゃない」って具合に解決しなかったりするみたいです。

婚約者は、私の思考のパターンみたいなものを理解するのがとてもうまいのでスッと入って来易いのと、文字に沢山の色をつけないで書いてくれるので共感覚の変換が少なくて済んでいるのと、わかる!!!!そっか!!!!」が強いのでかなり無視できているんだと思います。わかる!そうなんだ!の感覚はそのくらい強いです。

ここの段階で「学習障害(疑い)じゃなかったワ〜〜アハハ」って感じに変わりました。ごめんね婚約者。そしてありがとう。

未だにプリントとかPCの画面で算数の計算問題を見ると速度はガタ落ちになりますが、ずっと疑問で不安な上に納得がいかない説明が多かった

「足し算」「数数える順番」「0は存在するのか/その証明」「本当にこの世にあって使われる数式は崩れることがないのか」

に関して納得いく説明をもらって考え方と認識が自分で固定出来たので、ゆっくりなら解くことができるようになりました。

面積を求めたり、高校で一回も習わなかった微積もやってみようと思って一人で調べて解いてみたりしています。 別に必要に迫られてないのに好きでやってるの、高校とか泣きながら算数やってた小学生の頃の自分に見せたいなって思う。

そして私、結構数学が好きだなって (できるとは言ってない)

言ってないからね!!!!!

あでゅ